TDB市場の現在と歴史 | 短期金融市場入門

TDB市場の現在と歴史

明治から続いた市場は2000年代に急拡大

TDB市場の特徴

  • 短期国債の市場は2000年代に拡大
  • それまでは日銀が大半を買い取っていた
  • 国債の大量発行とFB・TBの統合でオープン市場を代表する市場に

1.意外に遅い国庫短期証券市場の成立

国庫短期証券は,その源流であるFBが明治時代から発行されていたものの,市場で流通し始めたのは1980年代(より厳しく見れば2000年代)と意外に遅い。理由は恒常的に日銀が買い取る仕組みが根付いていたためである。

■ FBの保有者
「財務省」は財務省資金運用部の特別会計。
出所:日本銀行

1956年までは日銀がFBを全額買い取っていたため,基本的に市場でお目にかかる機会はなかった。その後,FBは政府が定めた金利で公募が行われるようになったものの,実態がこれまでと変わることはなかった。原因は政府の提示する低すぎる金利である。政府は公定歩合を下回る金利で公募をかけていたが,そんなものに投資しようとする金融機関などほとんど存在しなかった。売れ残ったFBは日銀がすべて買い取る仕組みとなっていたため(定率公募残額日銀引受方式),結局今までと同じ状況が続いた。これが変わったのは第1次オイルショック以降である。

2.オープン市場を代表する市場へ

オイルショック以降,日本の経済政策に以下のような変化が見られた。

  • 税収の減少を補うため,国債が大量に発行されることとなった
  • 「経済成長」を重視していた政策が「インフレ抑制」へと傾くようになった

オイルショックで高度経済成長が終わり,物価の高騰が問題視されるようになると,日銀のFB買い取りはまずいという話が持ち上がった。「日銀が国債を買い取って代金を支払う」という行為は,つまるところ「国債を吸収して世の中に資金を供給する(金融を緩和する)」ということである。資金供給量の増加は金利の低下を通じて物価の上昇を助長する。ましてや金利を低く抑えた状態で財政を拡張すれば,理論上インフレの加速は避けられない。オイルショックでインフレが問題だと言っている最中,日銀がさらに資金を供給するインフレ政策をとるのはいかがなものかということが議論になった。当時の金融自由化の流れも相まって,市場を重視した国債消化のあり方が模索されるようになっていった。

■ TDBの売買高
2018年11月末時点。
出所:日本証券業協会

こうしたなか,1981年,日銀は保有しているFBを部分的に売却する金融調節を行った[1][2]。FBが市場に流通し始めるようになったのはこの頃からである。そして1999年, FBに公募入札が導入され(完全公募入札に切り替わるのは2000年),ようやく市場金利を反映した「指標性のある債券」となった。以降,市場規模は急拡大し,2009年のFBとTBの統合発行を受け,国庫短期証券市場が成立することになる。これにより指標性と流動性はさらに高まり,現在はオープン市場を支える重要な市場となっている。

  1. ^この年の5月,財政資金が大幅に払超になったことを受け,日銀は過剰に供給された資金を調整する目的でFBの売却を行い,マネーを吸い上げた。
  2. ^厳密には1955年12月,1966年1月にもFBの売却による資金吸収オペが行われている。しかし,転売が禁止されていたことなどから流通市場の形成には至らなかった。
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