コール市場の現在と歴史 | 短期金融市場入門

コール市場の現在と歴史

現存する日本最古の短期金融市場

コール市場の現在と歴史

  • コール市場は現存する日本最古の短期金融市場
  • コール市場は近年縮小が続いている
  • 最大の原因は日銀の大規模な金融緩和

1.短期金融市場はなぜ縮小したのか

■ 銀行合併前
■ 銀行合併後

コール市場の残高は1994年をピークに減少が続いている。資金の調達・運用手段が多様化したという理由もあるが,本格的な縮小はバブル崩壊によってもたらされた。景気が低迷すると,それまで資金を借りて設備投資を行っていた企業がプロジェクトを取りやめるようになり,資金需要は急激に低下した。それどころか企業はそれまで借りていた資金を返済し始めるようになっていったのである[1]。こうなると金融機関もコール市場で資金を調達する必要性が薄れ,コール市場の取引額は減少していった。さらに融資の減少不良債権の増大などをうけ,2000年前後に金融機関の統廃合[2]が進んでいったこともコール取引の減少に拍車をかけた。たとえばA銀行とB銀行が合併してC銀行となった場合,それまでA銀行とB銀行の間で行われていたコール取引はC銀行の内部取引となる。

■ コール市場残高
2017年末時点。コール市場の残高は8.1兆円。

こうしたなか,日本銀行(日銀)は金融緩和によって景気の下支えを図ったが,これこそがコール市場の大幅な縮小を招くことになった最大の原因である。企業の資金ショートや銀行の破綻を防ぐため,日銀は多額の資金を供給し,政策金利を引き下げ続けた。その結果,コール金利は1999年にほぼゼロまで低下した。しかし,金利がゼロとなっては資金の貸し手がいなくなってしまうだろう。そうしたなか,2001年に日本銀行はさらに強力な金融緩和政策である量的緩和を実施する。量的緩和とは,金利がゼロになるまで資金を供給したうえで,そこからさらに資金の供給量を増やす政策だ。ニュースなどでは資金でじゃぶじゃぶにすると表現されたが,こうなるともう短期金融市場はマーケットとして機能していないに等しい。この政策は景気が上向いてきたことを理由にいったん解除される(2006年)。しかし2013年4月,量的緩和は再び実施されることとなる(通称「アベノミクス第1の矢」[3][4]。その後もマイナス金利長短金利操作といった政策がとられ,コール市場をはじめとする短期金融市場の機能は著しく低下した。

もっとも,こうした短期金融市場の機能を低下させる政策は必ずしも経済失政を意味しているわけではない。市場機能の低下という副作用はあるが,デフレ脱却を目指すのであれば必要な措置とも考えられる。景気の回復や物価の上昇がみられるようになれば,政府は上記の特殊な金融政策を徐々に解除していくことになるだろう。そうなれば短期金融市場もかつての機能を取り戻していくことが期待される。

  1. ^資金需要の低迷や企業業績の悪化を受け,銀行が貸し出しに慎重な姿勢を見せるようになったこともコール取引の減少につながった。
  2. ^かつては13都銀体制と呼ばれたが,現在は3大メガバンク体制と呼ばれている。
  3. ^正式名称は「量的・質的金融緩和」。ほかにも「異次元緩和」「黒田バズーカ」などの呼び名がある。
  4. ^2010年10月の資産買入基金創設以降を量的緩和の開始とする場合もある。

2.コール市場の創設から現在まで

■ 第一国立銀行
日本で最初に設立された銀行(1873年開業)。現在のみずほ銀行。

コール市場は1902年頃,銀行が短期資金の貸し借りを始めたことによって自然に拡大した[1]現存する日本最古の短期金融市場である。コール取引が始まったきっかけは1900年に起こった明治33年恐慌だ。1985年,日清戦争が終わると政府はその賠償金で拡張的な財政政策を行った。その結果,重工業や電力産業への投資が活発化し,それに伴い銀行も次々と設立されていった(第2次企業勃興)。しかし,1900年に義和団事件が起こって対清貿易が停止し,その翌年にアメリカが不況(ノーザンパシフィック鉄道株急落)に入ると,日本の景気は急速に悪化した。銀行破綻が相次ぎ,日本史上初となる金融恐慌となった。こうした事態を受け,銀行同士が一時的な資金不足に対するセーフティーネットとして短期の資金を融通しあうようになった。これが現在まで続くコール市場である。

  1. ^政府が整備して創設されたレポ市場やCP市場と異なり,コール市場は銀行が勝手に始めて拡大していった。
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